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エルトゥールル号の遭難

2007

*この話は、今から115年も前の出来事です。

 20明治時代に、和歌山(大島)の人達が、トルコの人達を献身的に助けた。
そして時代は変わっても、その出来事を忘れなかったトルコの人達が、
こんどは日本人を助けてくれた。
今、素晴らしい実話を多くの子供たちに教えてあげてください。
感動の実話のサイトはhttp://www.kokueki.com/swf/toruko.htmです。
開いてみてください。


【エルトゥールル号の遭難】


和歌山県の南端に大島がある。
その東には灯台がある。

明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。
今も断崖の上に立っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。
明治二十三年九月十六日の夜であった。

午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほう
から音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。

「何か大変なことが起こらなければいいが」灯台守は胸騒ぎした。

しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかっ
た。

このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流
されてきた。
全長七十六メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいた。

灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には岩が
にょきにょき出ている。

ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。
船は真っ二つに裂けた。
その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。

乗組員全員が;海に放り出され、波にさらわれた。
またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。

そして、岩にたたきつけられた。一人の水兵が、海に放り出された。
大波にさらわれて、岩にぶつかった。

意識を失い、岩場に打ち上げられた。

「息子よ、起きなさい」

懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。

真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」
そう思うと、急に力が湧いてきた。

四十メートルほどの崖をよじ登り、
ようやく灯台にたどり着いたのだった。

灯台守はこの人を見て驚いた。
服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。
顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがって
いた。

灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。

「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」

「・・・・・・」
言葉が通じなかった。

それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、
船はトルコ軍艦であることを知った。

また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。

「この乗組員たちを救うには人手が要る」
傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。
電灯もない真っ暗な夜道。
人が一人やっと通れる道。

灯台守は樫野の人たちに急を告げた。

灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけであった。助けを求めて、
みんな崖をよじ登ってきたのだった。

この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。

船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。

だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が
見えた。
目をそむけたくなる光景であった。

村の男たちは泣いた。
遠い外国から来て、日本で死んでいく。
男たちは胸が張り裂けそうになった。

「一人でも多く救ってあげたい」
しかし、大多数は動かなかった。

一人の男が叫ぶ。
「息があるぞ!」
だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。

村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。
自分の体温で彼らを温めはじめた。

「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。
次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は六百人余り。
そして、助かった人は六十九名。

この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。

当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。
サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。

ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても助け
てあげたかった。

だが、どんどん蓄えが無くなっていく。
ついに食料が尽きた。
台風で漁ができなかったからである。

「もう食べさせてあげるものがない」

「どうしよう!」

一人の婦人が言う。
「にわとりが残っている」

「でも、これを食べてしまったら・・・・・」

「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人
に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。

また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして
明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコ
に送還なされた。

このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

次のような後日物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。

イラクのサダム・フセインが、
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」
と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。

しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。

世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

そこに、二機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。

日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの1時間15分前であった。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、

日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださ
 った献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
 私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
 トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
 今の日本人が知らないだけです。
 それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛
 んだのです。」

(文・のぶひろ としもり)

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今日、伝えよう!

2007
「もし、私が知ってさえいたら」


もし、ぐっすり眠っているあなたを見るのが

これで最後だと知ってさえいたら、私はあなたをもっとしっかり、

毛布に包んであげ、神様の祝福を祈っただろう


もし、外出するあなたを見るのがこれで最後だと

知ってさえいたら、

私は、あなたをしっかり抱きしめ、キスをし、出かけるあなたを

もう一度、呼び止め、もう一度しっかり抱きしめたことだろう


もし、あなたの心からの、ほめ言葉を聴けるのが

これで最後だと知ってさえいたら

私は、それを毎日繰り返して見ることが出来るように、

あなたの言葉とその態度のすべてをビデオに撮影したことだろう。



将来の道を考えるための明日はきっとあるし、

きっと来ると考えている。

すべてをやり直すための明日はきっとくるはずだと、

私たちは考えている


「愛しているよ」といえる別の日がいつか必ずあるのだろう、

「何か手伝いましょうか」と言える機会が

またきっとあるのだと思う。


しかし、万一、それが間違いだったら、あなたはどれほど

愛しているのかを伝えられるのは、今日しかないのだ。

そのことを決して忘れないようにしたい。


若者にも、そうでない者にも、明日という日は

約束されているわけではない。


だから、今日こそ、あなたが愛する人をしっかり

抱きしめることができる最後の機会かもしれないのだ。


もし、あなたがなすべき明日が待っているのであれば、

今日実行してみたらどうだろう。

もしかしたら、明日は来ないかもしれないし、そうなったら、

きっとその日、あなたは後悔することになるだろうから。


笑顔を見せること、抱きしめたり、キスしたりするための

ほんのわずかな時間

相手があなたに求めている、唯一の、

最後の願いだったかもしれないそれらのことを、

多忙を理由に拒否してしまったとしたら、

きっと後悔することになるだろう。


だから、今日、愛する人をしっかり抱きしめよう。

そして耳元でささやこう

愛していることを、いつも大切な人だということを。

「ごめんなさい」「ありがとう」「大丈夫」

「いてくれてありがとう」と時間をとって伝えよう。


そうすれば、もし明日が来ないとしても、今日、この日に、

後悔することはないだろうから。

(作者不詳 : 関根一夫 訳)

  • このエントリーのカテゴリ : 未分類
 

成功したい人へ

2007
人は自分の夢を持っています。
でもその夢を具体的にするには何をしたらいいのでしょうか?
これから始まる物語は成功したいと思っている人にヒントを与えてくれるでしょう。

   人生とは、『メニューのないレストラン』のようなものだ」

一人の客がレストランに入っていくところを想像してみて下さい。

そして席に座って、テーブルの上に置いてあるカードを見て、その客は驚きます。


そのカードには、次のように書いてあるのです。

「当店にはメニューがありません」

客は戸惑います。
店員が声をかけてくれることを期待して、しばらく待ってみますが、声を
かけられる気配がありません。

その間、その客のテーブルに何かが運ばれてくることはなく、時間が経過していくばかりです。

ようやく「こっちからオーダーしないといけないんだな」と気づいた客は、
店員を呼んでオーダーします。

「なんか温かいものをお願いします」

店員は困った顔をしたまま厨房に行ってしまいました。

そして、いつまで待っても何も運ばれてきません。

それでもしばらく待っていると、ついに店員がやってきて、次のように言ってきたのです。

「お客様、制限時間になりました。申し訳ありませんが、お帰りいただけますか?」

客は、納得できない気持ちで質問します。
客 「この店には、制限時間があるのですか?」

店員「はい、そうです。制限時間がきたので、出ていただかなくてはいけません。」

客 「この店では、何を食べることができたのですか?」

店員「当店には、メニューがない代わりに、あらゆる食材をとりそろえています。
また、和食、中華、フレンチ、イタリアン他、あらゆるジャンルの一流料理人たちが厨房におります。
お客様が一番召し上がりたいものをオーダーしていただければ、それをお出しします。」

客 「一番食べたいものですって?」

店員「はいそうです。何と何を使った料理を、どんな味付けで召し上がり
たいかをおっしゃっていただければ、それをお出しします。もちろんお飲み物からデザートまで、
すべてオーダーしていただけばご用意します。」

客 「私は水すら出してもらってないのですよ。」

店員「オーダーされてないものはお出しできないのです。」

客 「温かいものをオーダーしたはずですが。

店員「オーダーは具体的にしていただかないと、料理人たちも、どんな料理を作ってよいかわかりません。」

客 「もう一度、入店することはできますか?」

店員「残念ながら、制限時間を使い果たされたので、入店していただくことはできません。
当店では、何をどのくらい召し上がっても料金は無料なのですが、その代わり制限時間があるのです。」

客 「・・・(涙)」


まさに人生とは、この「メニューのないレストラン」のようなものだとは思いませんか?

あらゆる食材と最高の料理人たちが用意されていても、オーダーしないと何も出てこないのです。
そして、オーダーは具体的でないと、料理にならないわけです。


次のような抽象的なオーダーでは、料理人たちも、どんな料理を出したらいいか、わからないんだと思います。

「ヤリガイのある仕事がしたい」
「収入を増やしたい」
「幸せな家庭を築きたい」


料理人たちの質問が聞こえてきそうです。

「ヤリガイのある仕事って、どんな仕事?」
「欲しい収入額はいくら?いつまでに増やしたい?」
「具体的にどんな家庭だったら幸せ?」

 

プロフィール

シモ

  • Author:シモ
  • 千葉県在住のシモです。

    たった一度しかない人生をでっかい夢と希望を抱いてがんばっています。
    趣味・特技: 写真、映画鑑賞、音楽鑑賞(ロック、ジャズなどなど)野球観戦、サッカーはジェフ千葉のファンです。
    夢に向かってレッゴー!!

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